ライ麦畑で倒れ伏す 2nd Season

水平線に恋をして、また船に乗りたい元内航船員のブログ

池袋暴走事故の厳罰署名は交通安全に寄与しないどころか有害だ

池袋の暴走事故で厳罰を求める署名が30万筆近く集まっているらしい。

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一瞬にして家族を奪われてしまった遺族の心痛は察するに余りある。しかし、私はこれらの行いは交通安全に寄与しないばかりか、却って悪影響であると考える。

事故の「加害者」の糾弾は安全を遠ざける

交通事故とは事故発生のメカニズムは異なるので単純な比較はできないのだが、一般に航空事故では死傷者が発生した重大事故でも、操縦者の責任を追及することはない。その姿勢は、運輸安全委員会が公表している報告書の冒頭に「事故の防止及び被害の軽減に寄与することを目的として行われたものであり、事故の責任を問うために行われたものではない。」という文言が必ず掲げられていることからもわかる。

安全マネジメントの考え方では、事故を引き起こした直接の責任がある者、――ここではあえて「加害者」と呼ぼう――を糾弾したり刑事罰を問うことをすべきではない、とされている。
理由は二つある。一つには、責任追及をして刑事罰を加えるようなことをすると、当事者が事実を隠蔽しようとするおそれがあること、もう一つには、特定の個人への責任追及に集中するあまり、事故原因の究明や更なる事故の防止・被害の軽減といった面が疎かにされてしまい、安全マネジメント活動そのものを阻害してしまうからだ。

ヒューマンエラーは原因ではなく結果

今回の事故は運転者のアクセルとブレーキの踏み間違いによるヒューマンエラーによって引き起こされた、と推測されている。そして多くの人はそれが原因であると思っている。しかし、それは大きな間違いである。ヒューマンエラーはあくまで結果であって原因ではない。

エラーというものは、環境・個人の心身状態・マンマシンインターフェイスの設計・組織要因など様々なものによって形作られ、引き起こされるものである。そのため、エラーの発生原因の特定は事故原因の特定と同等か、それ以上に労力を払われ、注意を向けられるべきものだ。

なのにどうして、世の人々はヒューマンエラーを単なる事故原因として捉え、あまつさえそれを「加害者」の単なる不注意、怠惰、無能として片づけてしまい、なぜヒューマンエラーが起きたのかを考えようとしないのか?その答えは「基本帰属エラー」と呼ばれる人間心理の根源にある。

たとえば、よく交通事故の報道で「加害者」が「慌てていて確認を怠った」とか、「気が付いてブレーキを踏んだが間に合わなかった」という供述をしているのをよく見かける。それを目にした人々はそれを「加害者」の不注意や能力不足だと思うだろう。それこそが基本帰属エラーであり、人間の基本的な性質なのだ。

実際には慌てていたり、危険に気が付くのが遅れたのには何らかの理由や状況に原因がある。「加害者」自身がそういった説明をするとしばしば「言い訳」と称されて顧みられないことが多いが、実際の事故原因は「加害者」の個人的素質と状況の狭間に潜んでいる。

非難は巡り、悲劇は繰り返す

先ほど述べた通り、我々は基本帰属エラーにより、状況ではなく個人を非難しがちである。ではなぜ、我々はそんな過ちを犯してしまうのだろうか?その答えの一部は他者に対する信頼にある。

大半の人々は「自分には自由な意思があり、正常な判断力がある。おそらく自分以外の人もそうだろう」と考えている。ある意味でそれは正しいし、事実そうだから社会というのは成り立っている。そういった考えが根底にあるので、事故の原因要素のうち、人間の行為が最も回避しやすいものだとほとんどの人は考える。他の要因と比べて、人間の行為が最も制約を受けていないものだと見られているのである。日常の些細な失敗や事故が起きたときの再発防止策が「もっと注意しましょう」や「よく確認しましょう」という呼びかけになりがちなのはそのためだ。

そうやって、人為的エラーというものはある程度の意志や判断力があれば防止できるもの、と見なされているから、重大な事故が発生するとそれに関連した行為を行った個人は非難に晒され、時に様々な制裁や罰を受ける。しかし、これらはエラーを誘発する要因には何も影響をもたらさず、解決にはならない。そのため再びエラーはなくならず、再び事故が起きる。すると人々は従来の非難が軽視されていると考え、より強い非難と制裁、罰が必要だと考える。しかし、それらには効果がなく、再びエラーは引き起こされる…… これがまさに今池袋で起きた暴走事故と、その後に続く「高齢者による踏み間違い事故」と称される事故の構図である。こうして、効果なき非難はぐるぐると巡り、悲劇的な事故は繰り返されるのだ。

今回の事故の被害者遺族は「厳罰が再発防止につながる」という思いで署名を呼びかけたとのことである。だが今まで述べたように、「加害者」個人を厳罰に処したところで決して本当の事故の原因は解決しないし、交通安全に何ら寄与しない。むしろ、小市民的義憤に押し流されて事故原因の本質を追及することが忘れ去られる上に、厳罰を恐れる事故当事者が隠蔽に走るあまり、ひき逃げを起こしたり、逃走しようとして更なる事故を起こすリスクを誘発しかねず、有害というほかない。彼は自身の思いとは逆に、交通安全を妨げる行いをしているとしか思えない。

本当に目指すべきは、「人間はしばしば愚かしい振る舞いを行い、ミスをし、パニックに陥る」という観点に立ち返り、人的要素と状況的要素の双方から科学的アプローチによって安全マネジメントを行うことである。それ以外に、さらなる悲劇を防ぐ方法はない。