関空連絡橋に衝突した「宝運丸」船主、清水 満雄氏の弁明は船員から見れば妥当なものだ
一昨年の話になるが、関空島沖合の錨地*1で乗っていたタンカー船が走錨*2しかけたことがある。
そのときは堺港で積込を行う前日に入港し、翌朝着岸して荷役を行う予定だった。
夕方から夜にかけて風が強くなるという予報があったものの、
投錨*3当時の気象海象は穏やかで、船長は予報値から許容範囲内だとみなし、守錨当直*4は実施しなかった。
午後早くに投錨した我々は、作業が終わると夕食も早々に済ませ、食堂で飲み会を始めていた。ほろ酔い加減になった私は少し飲みすぎたかな、と思い早々に中座して、自室のベッドで横になっていた。
船の揺れに身を任せ、いい気分になっていると、ふと船が妙な揺れをしていることに気づいた。
通常、船が横揺れするときは振り子のように揺れる。しかし、そのときは大きな力で真横に押されているように水平に揺れていたのだ。
相変わらずベッドに寝転がりながら、不思議な揺れ方だな、どういう仕組みなのかな、などと呑気に構えていると、卓上の内線電話が鳴った。
受話器を取ると、「錨がズレてるみたいです!スタンバイしてください!」という同僚の甲板手*5の声。
変わった揺れの正体は走錨時特有の船体が風に流されたときの運動だったのだ。
慌てて飛び起き、身支度を準備してデッキに飛び出した。
天候は投錨時と一変し、強い風雨が体を叩く。
わけもわからぬまま、揚錨機*6に飛びつき、二等航海士の指示に従って二つ目の錨を落とした。
後で聞いた話だが、あまりに風が強くなっていたので船長が心配になって船橋*7に昇ったところ、走錨しかかっていることに気づいて急いで召集をかけたそうで、その時の風速計は秒速30mを超えた場所を指していたそうだ。
その後、当然ながら翌朝まで守錨当直が実施され、双錨泊にしたこともあって本船は無事朝を迎えたわけだが、船長が気付くのがもう少し遅れれば、もっと風が強ければ、あるいは他船との距離がもう少し近ければ、事故にもなりかねない事態であり、今でも思い出すとゾッとするとともに、走錨時の揺れの体感という教科書にもない知識を得る機会にもなった。
9月4日に、タンカー宝運丸が関空連絡橋に衝突の報を聞いたときは、やはりその経験が咄嗟に頭をよぎった。
その宝運丸を所有する日之出海運の社長の清水満雄氏が、事故当時の状況について船側からの証言と意見を述べている記事が出た。
船員は職業人口も比較的少ない*8うえに、その職業柄、世間との接点も少ない。そのためか実際の依存度に比して人々の海運への関心もあまり高くはないのが実情だ。
そのせいもあってか、ひとたび大々的に報道される規模の海難事故が起きると、見当違いの非難や批判に晒され、実務を理解していない「専門家」や聞きかじりの半端な知識しか持たないコメンテーターの意見が平然と報道に流れることは珍しくない。
その様を船員はいつも歯噛みする思いで見ているのが実際だ。
以下は上記記事を引用しつつ、本件事故についての雑感と私見を述べるものである。
海運関係者からは不足や適当でないと思われる表現もあるかもしれないが、それはなるべく業界人以外にも理解できるような説明や表現を心掛けたのと、筆者が船員としては若輩であるゆえのことである。その点はご理解をいただきたい。
日之出海運社長清水氏が語る当時の状況
錨泊*9地の選定について
その場所は台風の時に各社の船が停泊する定番のポイントでした。三方が囲まれ、防波と防風に優れています。海底は粘土質でいかりが効き、台風をしのぐ最適な場所とみられていました。
実際、関空島周辺は関空島自身や淡路島、和泉山脈といった地形が風浪を防ぐかたちとなり、水深もそれほど深くなく、底質も錨が効きやすい粘土質の泥なので、多くの船がそこで錨泊している。
とあるテレビ番組で、コメンテーターが漁師からの意見として、底質が岩の場所ならば流されずに済んだ、と発言したそうだが問題外である。そんなところに錨を下せば、錨や錨鎖が岩に引っかかって錨を揚げられなくなってしまう。風浪が強ければ、錨や鎖の結合部分から破断したり、揚錨機のブレーキの制動力を超えて、鎖ごと錨がすっぽ抜けるおそれすらある。
錨泊以外の選択はなかったのか
「岸壁につないでおけば事故は防げた」との意見がありますが、それでは岸壁を破損します。「沖に出るべきだった」とも言われますが、水深が深いといかりが効かなくなります。
ここには船舶の運用に対するよくある誤解に対する重要な指摘が含まれているので、解説する。
岸壁につないでおけば事故は防げた?
まず前者の意見だが、船と岸壁はロープで繋がれている。船は波や風で常に動き、ロープも伸縮するので、どれだけしっかりと繋いでいてもわずかに動いてしまう。通常はそれで問題ないのだが、荒天時になると船は激しく揉まれ、岸壁と船体が強く接触することになる。
そうなると、岸壁や船体が破損する危険性が生じる。もちろん岸壁にはゴム製の緩衝材がついているし、船にも小さいながらそういうものが積んであるのだが、台風ほどの荒天になるとそれらは意味をなさないほどの揺れになる。
他にも、高潮時に岸壁に乗り上げたり、最悪の場合ロープが破断して漂流する危険性もある。
荒天時の係船は沖にいるよりも様々な危険があるのだ。
沖に出るべきだった?
「沖に出るべきだった」という意見も、当時の状況を考慮すれば妥当性は疑わしい。清水氏も述べているように、水深が深いと錨の効きは悪くなる。錨というのはそれ単体では船を固定するのに充分な力はなく、海底に伸ばした鎖の摩擦力を加えて初めて機能するのである。水深が深いと、それだけ海底に沈めておける鎖の長さが減るのだ。
もちろん錨を使わず、ずっと周辺海域を航行し続けるという方法もあるが、当時の大阪湾周辺は暴風域のど真ん中だ。
南へ行けば台風に突っ込んでしまう。北には明石海峡がある。おまけに、さして大きな船でもなく*10、空荷で荒天には弱い*11状態だ。当時の観測データに基づく紀伊水道の波浪推算値は5mを超えている。*12「沖に出ればよかった」というのは後付けの結果論の域を出ない。
風速と錨泊方法について
宝運丸の風速計は秒速60mまでですが、今回はそれを振り切っていました。90mくらいまでいったのでは、との証言もあります。
一般的に、錨1本で耐えられる風速は秒速30m程度が限度とされている。それ以上になると双錨泊、二錨泊といった錨を2本下す投錨法で対応することになるが、風速計が振り切るほどの風では対応できる時間や行動も限られていただろう。
現在、宝運丸の錨の使用状況については詳細な情報はない。事故当時の写真を見る限りでは単錨泊のようにも見えるがはっきりしない。単錨泊だったとすれば、過去の経験からそれで耐えられると判断したか、錨どうしが絡むのを憂慮したのかもしれない。
関空島付近に錨泊したことについて
事故の後、「関空島の周囲3マイル*13に錨泊(びょうはく)してはいけない」とする海上保安庁の推奨文が出てきましたが、これについては青天のへきれきでした。そんなくだりがあったのか、と驚いたのが実感です。当日も1日前から停泊しています。それ以前にも、注意喚起されたことはありませんでした。
確かに、2018年6月時点で、関西空港海上保安航空基地から『走錨海難を防止しよう!』という啓発資料がサイト上に掲載されており、その中には「関空島の陸岸から、3マイル離した場所に錨泊してください!」という文言がある。
その確認を怠った点については、会社や船の過失と言えるかもしれない。
だが、事故発生当時を含め積極的に指導・勧告等を行ったような形跡は見られなかった。大阪港航行安全情報センターが発行している大阪港入出港マニュアルにも、関空島周辺の停泊についての注意事項は見られない。清水氏の言うように、あの場所に錨泊する合理性があるように見えた部分はあるのだろう。
錨泊場所に居座ったために事故が起こった?
「錨泊場所から移動せよという警告を無視して居座り続けたために事故が起こった」との報道もありましたが、これは事実ではありません。
荒天時の停泊、それも台風であれば停泊当直*14を実施するのはこの業界では常識であり、またそれを否定する情報も報道等ではない。この後の詳細なやり取りのくだりも含め、おそらく事実と相違はないであろう。
そもそも走錨開始したと思われる時刻から衝突まで40分以上あり、その間に大阪湾海上交通センターは2回直接船舶電話で注意喚起している。おそらく無線での呼びかけ*15も複数回あったであろう。
既に走錨しているのに何の対策もせず、その場に居続けることはまずありえず、そうする合理的理由もない。「警告を無視して居座り続けた」というのは全く見当違いの批判である。
終わりに
以上、長くなったが清水氏のコメントを引用しつつ、本件事故の雑感や解説を述べてみた。
本件事故は衝突した対象が関空連絡橋というインフラの動脈だったこともあり、世間の耳目を否が応でも集め、当該船の船長や会社には多くの心無い声が集まった。そんな中、更なる批判誹謗が出てくるリスクを冒して我々の立場に立って弁明を行った清水氏には尊敬と感謝の念を抱いている。
また、あのような重大事故にもかかわらず、死者が出なかったのは奇跡であり、せめてもの救いである。極限的な状況下で人命の安全を確保した船長以下クルーはの咄嗟の判断と行動はまさにそのときの最善を尽くした結果であり、称賛に値する。
最後に、「宝運丸」「日之出海運」で検索すると未だにクソまとめサイトやYahoo!知恵袋のバカな質問が検索上位に来てしまう悲しい現実がある。本エントリがせめてそれを上回るくらいに拡散してもらえることを願うばかりである。
*1:船が錨を下して停泊する場所
*2:錨の固定が外れ、船が流される状態
*3:錨を下ろすこと。対義語は揚錨
*4:錨泊中に行う見張り当直のこと。俗にアンカーワッチと呼ばれる。停泊状態や他船の動向、気象海象などの監視を行う。
*5:船舶を直接操縦する甲板部の職名の一つで、階級としては下から二番目にあたる。
とはいうものの、昨今は運航に必要な乗員数は少ないので、試用期間終わったペーペーなのが実態である
*6:錨を揚げ下ろしするためのウィンチ
*7:せんきょう。航海計器や操舵装置が備え付けられた船の操縦室兼指揮所。業界では英語で「ブリッジ」と呼ぶことが一般的。
*8:やや古いデータになるが、日本船主協会の「海運統計要覧2017」によると、2016年時点での船員数は64,351名、うち海運に携わっているのは29,827名である。ちなみに、2017年の公認会計士の登録者数は30,316名である。
*9:投錨して停泊すること。
*10:事故当初、宝運丸を「大型のタンカー」と称する者もいたが、本船はタンカーとしてはむしろ小型、国内航路のタンカー基準でもせいぜい中型といった程度である。
*11:船は水面上に出ている面積が少なくなるため風の影響を受けにくくなる、重心が下がるなどの理由から、一般的にある程度沈んでいる状態のほうが荒天に強いとされる。
*12:https://www.data.jma.go.jp/kaiyou/db/wave/chart/wavepoint/wave_point.html?point=8&year=2018&month=9
*13:ここでの「マイル」とは船舶や航空分野で使われる国際海里のことである。1マイル=1,852mとなる。
*14:錨泊当直を含め、停泊状態で自船や周辺の状況を監視するための見張り当直。
*15:走錨しかかっている状況下では海上交通センターや付近の他船から「XX丸さん、動いてますよ、大丈夫ですか!」と船舶無線で呼びかけられることは珍しくない